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プロチーム深夜の脱走

広島力ープが、一夜明けたら仙台に引っ越していた・・・

こんなことは日本では起こり得ないですよね。

でも、ベンチャーの国アメリカでは起きるのです。

プロ・アメリカンフットポールの名門ボルチモア・コルツが突如、東部の港湾都市ボルチモアから中西部の新興都市インジアナポリスに移転してしまったのです。

84年3月29日真夜中のことでした。

オーナー、ロバート・アーセイの秘密指令で大型トラック18台がボルチモアに忍び込みました。

夜明け前、トレーニング設備や道具一切をかかえたチーム一行は、オハイオ川を越えて一路インジアナポリスに向かいました。

1000キロ、10時間余の逃避行。

インジアナ州の州兵がごていねいに州境まで護衛に出迎えていました。

「コルツ、ボルチモアを見捨てる」

・・・翌朝、一面トップの新聞記事を読むまで何も知らなかったボルチモア市民は怒り狂い、落胆しました。

スポーツチームの移転話だけなら珍しいことではありません。

プロ野球の名門ジャイアンツは早々と、ニューヨークからサンフランシスコに移っています。

でも、コルツの夜逃げは、アメリカ産業の急激な盛衰、大都市の栄枯を見事に象徴しているのです。

プロチーム深夜の脱走 その2

「コルツ移転」のニュースが流れたその日、ボルチモアに車を飛ばします。

ボルチモアは、かつては商業港として繁栄をきわめたのですが、米大陸横断の陸上輸送や航空路の発達とともに、市の経済活動が下降線をたどり始め、80年の国勢調査では、都市人口ベストテンから初めて脱落してしまいました。

80年までの10年間に、20%も入口が減ったのです。

その代わりにサンベルト、テキサスのサンアントニオが10位入りしたのは、時代の転変を端的に物語っています。

かつてコルツが根城にしていた施設には鉄条網が張りめぐらされ、ゲートわきに1人、警備員がさびしげに立っていました。

「私は21年間、スタジアムでチケット売りをやってきた。

確かに、ここ4、5年前から入場者数は減っていたが・・・」とつぶやきます。

この入場者数の減少、「コルツ」の収益減が、オーナーに脱出の決断を促したのです。

プロチーム深夜の脱走 その3

ボルチモア市議会当局によると、「秘密作戦」が決行される10日前から、「コルツがどこかに移転するらしい」とのうわさが流れていました。

そこで市議会議員の間で移転阻止工作が始まり、3月30日の本会議で「チームは市の共有物であり、オーナー個人の決定はまかりならぬ」との緊急決議を採択することになっていたのです。

その動きを知ったアーセイは、大あわてで作戦を強行したのです。

では、なぜ、インディアナポリスを選んだのか・・・。

飛行機で舞い降りてみて、すぐにわかりました。

かつて「ナップ・シティー」(居眠り都市)と呼ばれた"煙突工業"中心のインディアナポリスはいま、ハイテク、バイオテク、スポーツ、レジャー中心の新興都市として生まれ変わりつつあったのです。

市民の表情も明るいです。

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プロチーム深夜の脱走 その4

インディアナポリスに来て1週間目、マスコミ嫌いのアーセイ・オーナーをつかまえて、大脱走の真意を聞きただした記者がいます。

「ボルチモアでは去年、シーズン・チケットは2万2千枚しか売れなかった。

市民は、過去の栄光(1958年チャンピオン)を語るだけで、来てくれなくなった」

その点、インディアナポリスは"別天地"。

市民税を増税して完成したばかりの豪華な屋内「フージャー・スタジアム」(6万1000人収容)があります。

チケットも、向こう3年間、毎シーズン4万5000枚が予約済み。

プロスポーツチームのない同市に何とかコルツを招致しようと、極秘に交渉を進めてきた"影武者"がいました。

市長です。

「今だから言えるが、2か月前に7人からなる秘密のタスク・フォースを作り、策を練ってきたんです」と打ち明けたそうです。

この移転劇、市にとっても、収益はもちろん、市のイメージアップなど、十分な計算に立ってのことだったのです。

このインディアナポリスの策略と、ベンチャービジネスの一翼を担うコルツの打算こそ、アメリカの活力の源かもしれません。

アメリカの都市は、独立した細胞のよう。

一部が弱り、国の巨体が風邪をひいても、新しく力強く育つ都市があることを、コルツの移転事件は示しています。

ハイテク一発屋たち

西海岸には今でも、アメリカン・ドリームを追い求める男たちが群がっています。

コンピューターやソフトの新技術を開発して億万長者になろうという、ハイテクの"一発屋"たちです。

技術があってもカネのない"夢見る"男たち・・・。

その男たちに金の卵を産ませようと、虎視たんたんたるベンチャー投資家たち。

当然投資家が幅をきかしています。

サンフランシスコ金融街のど真ん中に本社を持つ「パシフィック・テクノロジー・ベンチャー・ファンド」(PTVF)の会長も、そんな投資家の1人。

設立2年にもならないのに、大口投資したハイテク会社はすでに16社。

地域も西海岸、日本、東南アジアと国際的広がりを見せています。

「金はつぎ込めばいいというもんじゃない。そのあとのアフターケアがモノを言う。

そう、私の場合、毎週5000マイルくらいかな、飛行機に乗っているのは。

1社あたり月1回は事業の健康診断に回らなきゃならないからね。」

・・・彼にとって、ハイテクのヤング事業家たちは、大切な"金のなる木"なのです。

業績なければ社長もクビ

その"健康診断"に同行した記者がいます。

社長と共に最初に立ち寄ったのは、新興ビル街の一角にオフィスを持つマイコン教育プログラム会社「ノウハウINC」。

同社は、PTVF社が1年半前に出資して生まれたコンピューター・ソフト教育の専門会社。

まだ専任教官は六人しかいないミニ企業ですが、大手銀行や企業から社員教習の依頼が殺到して、まずまずのスタートです。

だが、ノウハウ社の面々、いつも神経をピリピリさせています。

業績が伸びなかったり、手抜かりがあると、即座にクビをすげ替えられてしまうからです。

その人事決定権は、すべて投資家の手中にあります。

社長の後に続いて重役室に入ると、経理、営業、セールス担当の各副社長が顔をそろえています。

なのに、肝心の社長がいません。

「実は、期待通りの業績を上げないんで、最近、社長にやめてもらいました。

今、私が会長にすわって後継社長を養成中なんですよ」

創造への激しい闘志

投資した会社がすべて当たるわけではありません。

急成長したものの途中で息切れしたり、倒産する会社も少なくないそうです。

そんな時、投資家の"目"が問われます。

2か月後のこと。

PTVF社に"異変"が起こりました。

同じ記者が再取材に戻ってみると、あの社長自身がポストを追われていたのです。

後がま社長には、だれあろう会長夫人。

夫人はそれまで、ロサンゼルスで社員400人のコンピューター会社を経営していた立志伝中の女傑。

「ロスの会社は、もうあれでいい。今度はPTVFを立て直さなきゃ」と、顔に似合わぬ闘志をむき出しにしていたそうです。

ベンチャー資本家を「バルチャー(猛きん類)」と揶揄する人もいます。

でも、彼らの本当の関心は、将来性ある未熟会社を発掘し、育て上げるプロセスにあるといってもいいでしょう。

既製品に磨きをかけるよりは新しいものをつくり出す・・・。

そこに生きがいを見いだすたくましい資本家たちもまた、創造性に富むアメリカのエネルギーなのです。

コンピューター・キッズ

アメリカは「早熟社会」です。

それを象徴するように、ハイテクの街に、コンピューター・キッズが育っています。

文字通り、パソコンのソフト業界に殴り込みをかけるこどもたちです。

実際、シリコンバレーに住み込んで、こどもたちのさまざまなうわさを耳にしました。

サンフランシスコ市立講堂で開かれた「第9回西海岸コンピューター・フェア」。

土、日を含め4日間におよぶ大出品展の会場は、3フロアに分かれ、連日1万人以上の見学者でごった返していました。

当然のことながら「IBM」「アップル」のような大手メーカーが主役。

しかし、3日目の土曜日、1階の片隅に小さなショップを出している少年がいました。

シリコンバレーの南端サンノゼからやってきたという中学生です。

「ウィークデーは、学校があるもんだから」と言う少年の横に、父親が付き添っていました。

目の前に積み上げられたビデオ・ゲームのカセットには、父子の名をとった会社名がプリントされています。

彼は中学生にして、ソフト開発会社のレッキとした共同経営者なのです。

日を改めて、少年の会社を訪れました。

会社は、自宅の20畳ほどのリビングルームと少年の勉強部屋。

「ソフト商品はアイデアが勝負。アイデアは、窮屈なビルにオフィスを構えても出てくるもんじゃないし・・・」と悟っていました。

自作ゲーム、日英からも引き合い

仕事場には、IBMのパソコン4台が並べられ、「宇宙の悪夢」「フォークランド合戦」といった自作ゲームのシーンがスクリーンに映し出されていました。

この2つの作品はすでに商品化されています。

アメリカ国内だけでなく、英、西独、オーストラリア、日本などからも引き合いがきているといいます。

値段は、1つ32ドル50セント。

83年3月に会社を設立して以来の売り上げについては口をつぐみましたが、順調のようです。

その証拠に、父親は最近、それまでプログラム・マネジャーをしていた会社を辞めてしまったそうです。

少年は、共同経営者になってからは、毎日最低4時間はコンピューターに向かっているそうです。

もちろん学校の宿題もおろそかにはできません。

それが、ローティーンのあるべき姿かどうかはともかく、1日の大半を自宅の机ですごしていることになります。

記者が訪れた時、少年は「ジャングル・マッドネス」という4作目のゲーム製作に夢中だったそうです。

話しっぷりといい、パソコンの操作ぶりといい、こどもらしからぬ落ち着き・・・。

よほどの天才でないかぎり、こんな大人顔負けの作品を作れないだろう・・・。

そう思いながら、彼の成績表を見せてもらったそうです。

これが意外。

理科、算数も含めてほとんど「A」ではなく「B」だったそうです。

非凡な"ひらめき"は、学校の成績とはまた別ものらしいです。

鉄は熱いうちに打て

同じサンノゼ市に、年収10万ドルを超すソフトウェア会社を個人経営する少年(17)がいました。

サンタクララ大学商学部1年に在籍していましたが、「ビジネス8時間、大学5時間」と、1日の活動は学業より仕事優先です。

彼は「正直いって、商売の方がやりがいがあります」と言い切ります。

ほかにも、記者は1人の高校生、2人の大学生に会ったそうです。

いずれも自宅を事務所兼用にした会社経営者たち。

神出鬼没の彼らの実態はつかみにくいそうです。

でも、その数は西海岸だけでも数百人に達するといわれています。

日本でも、ゲームのとりこになっているこどもは多いですよね。

でも、アメリカのコンピューター・キッズは、プレーするのではなく、その製作に熱を上げるのです。

3か月たって、記者は再び少年の家を訪れました。

そのとき一家はまもなく5か月間の世界旅行に出かける準備に追われていたそうです。

旅行中は、もちろん学校は休み。

「気にしませんよ。むしろ世界を自分の目で見て各国の人々と語り合う。その方が、よほど生きた勉強になります」と父親もいたって大らか・・・。

パソコン持参の旅。

アフリカのジャングルや南海を見ながら、新しいソフトを考えるのだといったそうです。

"鉄は熱いうちに打て"というわけですね。

アメリカのベンチャーは、こどものうちに始まっているのです。

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